日本人にとって、人形ははるか昔からひとつの《文化》でした。人形は、時には人々の畏敬や信仰の対象であり、時には子供たちのよき遊び相手であり、また時にはその美しさを愛でる愛玩の対象でもありました。
さらに、四季折々の節句の風習から生れた《ひなまつり》や《端午の節句》からは多くの節句人形が誕生するなど、独自の人形文化が育まれました。こうして長い歴史の中から、さまざまな人形が作られましたが、いつの時代も、日本人が人形を敬い愛する心に変わりはありませんでした。日本人にとって、人形は単なる飾り物や遊び道具ではなく、つねに生命あるものとして扱われてきたのです。
人形に対する日本人独特の感性を象徴するものに、全国各地の社寺で行われる「人形感謝祭」あるいは「人形供養」があります。そこには各家庭での役割を終えた人形たちが集められます。由緒のある昔の人形から、最近のぬいぐるみまで、集まる顔ぶれはいろいろですが、いずれも、持ち主が捨てるに忍びないと思ったものばかりです。
これらの人形たちは、感謝の気持ちに見送られて手厚くまつられた後、燃やされるなどして処理されて行きます。こうした儀式は、時として、外国の人々にとっては理解しがたいと言われることもあるようです。人形に対して心や命を感じる感性が、広く受入れられるという風土は、どうやら日本ならではのもののようです。
節句人形は、江戸時代に盛んになり、現代に至っています。江戸時代の人々は、人形にあこがれを託し、より美しく、より華やかなものを求めました。そんな人々の希望に応えるように、人形工芸は次第に発達し、素材も贅沢になっていきました。あまりの過熱ぶりに幕府は度々禁令を出しましたが、人々の人形を求める気持ちを静めることはなかなかできませんでした。しあわせを祈って飾る人形への熱い思いは、現在の節句人形にも脈々と伝えられています。
人形はもちろん付随する道具類も、すべて熟練した技から丁寧に作られ、さらに織物や染色、木工、漆芸、金工などの技術もふんだんに用いられます。配色やデザインなどはその時代時代の流行を反映してはいるものの、そこには伝統的な日本の美意識が息づいています。
こうして作られた節句人形は美しく魅力的ですが、それはあくまで季節の行事の中に生かされる存在です。それはまた、子供たちに、四季に根ざした日本の生活のありかたを無言のうちに教えてくれます。
節句人形は、日々の生活から薄れていく日本の文化や美意識、手仕事の技とその心を次の世代へと伝える大切なかけ橋といえるでしょう。