伝統ある日本人形文化の
振興と継承のために

五月飾り ――鯉のぼり

 

少し気が早いかもしれませんが、今月から五月飾り<端午の節句>に関するブログを配信していきます!今回は童謡「こいのぼり」で「屋根より高い♪」と歌われる″鯉のぼり”がテーマです。都心では屋根より高いものを見かけることが少なくなりましたが、ベランダや軒先にはカラフルな鯉のぼりが掲揚されています。何匹か掲げられているのを見かけますが、もともとは大きな鯉一匹だけ。鯉のぼりに託された願いや歴史を調べました。

 

登龍門にちなんだ風習

鯉のぼりは端午の節句に掲揚される鯉の形を模した吹貫(ふきぬき)のこと。古代中国の故事である登龍門「鯉が龍門の滝を登り、龍に転じる」にちなみ、その図を幟旗に描き、さらに江戸中期に立体化したものが鯉のぼりです。日本では子どもの立身出世や健康を願い、端午の節句に鯉のぼりを掲揚するようになりました。
1838(天保9)年に刊行された斎藤月岑(げっしん)著『東都歳事記』には次のような記載があります。

「紙にて鯉の形をつくり竹の先につけて幟と共に立つる事、是も近世のならはし也。出世の魚といへる諺により男児を祝するの意なるべし。ただし東都の風俗なりといへり。(紙で鯉の形を作り竹の先につけて幟とともに立てることは近頃の習わし。鯉が龍に出世したという伝説にちなんで男児を祝う意味だろう。ただしこれは江戸だけの風習ということ)」

当時は紙製で、幟の付属から独立したこと、中国の登龍門がルーツであること、江戸で誕生したことが分かります。主に紙製だった鯉のぼりが、明治時代に入ると木綿製が登場。戦後、和紙の産地が衰退したこともあり、木綿製や化学繊維で多くの鯉のぼりが作られるようになりました。現在はナイロン、ポリエステル製が主流です。紙製は昭和中期までは盛んに製作されていましたが、現在ではほとんど見ることがありません。

鯉が増え、色はカラフルに

江戸時代は黒い鯉(真鯉)の一匹のみが主流でした。歌川広重『名所江戸百景 水道橋駿河台』には黒い鯉だけが描かれています。明治以降に赤色の緋(ひ)鯉も多く作られるようになり、数匹の鯉を一緒に掲揚するようになります。黒と赤に加え、昭和30年代には青、緑、橙(だいだい)などのカラフルな鯉のぼりが登場。五色の鯉のぼりがヒットしました。時を同じくして、東京オリンピックを迎えたため、「東京五輪のために五色が誕生した」という俗説もあったが無関係。青は清潔、緑は健康、橙は闘志を表しています。

矢車と吹流にも意味があります。 矢車の矢は古来、邪悪なものを射るということから魔除けの意味を持つのです。江戸から昭和初期には矢車の上に竹製の籠玉を付けたが、それが金属製の回転球に代わりました。
吹流は明治以降、鯉のぼりと一緒に掲げることが多くなりました。五色に染められたものは、古代中国の陰陽五行説からきている。二本線(二引)が染められているものは「子孫繁栄」を願うとされています。

日本人形協会発行「にんぎょう日本」2022年5月号「素朴なギモンvol.75」を一部編集して掲載

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